あの子・あの人は今【第5回】
『コロナの今だからできる事を』を考えて、昔の会員さんの声をQ&A方式にしました。第5回目の登場の子は、小学生縄跳び記録歴代1位!お客様の声として、少しでも参考になれば幸いです。
あの子・あの人は今 【守屋勝克君】
Q 名前と年齢は?
A 守屋勝克(まさよし)・22歳です。
Q ムエタイを習っていた時期は?
A 2003年~2007年(ニューバンビーノ幼稚園年中~小3)だったと思います。
Q 今は何をしている?
A 都内でネットワークエンジニアとして働いています。
Q ムエタイを習う前、ムエタイにはどんなイメージがあった?
A シンプルにカッコいいイメージがありました。
Q ムエタイを始めたきっかけは?
A おそらく親が入れたのだと・・・(笑)。ただ幼稚園で楽しかった課外教室のサッカークラブやわんぱくスポーツクラブの先生をしていたゆうた先生がいたこともあると思います。
Q 始める決め手は何だった?
A 同じ幼稚園の仲の良かった友達も入ることや、佑太先生が教えてくれることだったと思います。
Q ムエタイをやってみて、やる前との印象と違うところはあった?
A 特にギャップはなかったです。パンチやキックをバシバシ打っていたのが楽しかったです。
Q 実際に練習を始めて、最も印象的だったことは何?
A やっぱり縄跳びは印象的です(笑)。それとムエタイ合宿の練習で、「強いパンチを打つには、手首を捻りながら打つ」というコツをゆうた先生が教えてくれたことを今でも覚えています。
Q ムエタイの良かったところ・嫌だったところは?
A ゆうた先生も含め先生達(僕の時は、ベン兄ちゃんとノイ兄ちゃんも)や、友達と皆で楽しくムエタイをすることができた雰囲気が良かったです!
Q 一番楽しかった事や嬉しかった事は?
A スパーリングで勝てた時はもちろん、そもそもムエタイで汗をかいて体を動かすこと自体が楽しかったです。
Q 本帰国してから続けたスポーツは?
A 小4:水泳、中学3年間:水泳、高校8ヶ月間だけバスケ、大学では、サッカー・バスケ・バレーボール・水泳等様々なスポーツを友達と集まってやってました。
Q ムエタイを習った事で、その後のスポーツにどのような影響があったか?
A 体を動かすことが、今でも大好きになりました。
Q ムエタイを習った事で、私生活ではどのような効果や気付き、成長があった?
A もしキックをされるような状況があった時(←そんなことめったにないですが笑)に、自分の身を守れる術を学んだこと。
Q 今だから言えることは?
A →実は、スパーリングをするのがめっちゃ怖くて、えのがきこうへい君(当時のライバル)と八百長をやりました(すいません!笑)。僕はスパーリングをするのが怖かったので、あらた君やゆうすけ君が本当にムエタイの試合に出ていたりしていて、凄いなと感じていました!
→今思えば、縄跳びは練習のアップのようなものだけであったのに、跳び続けていたことを止めることなく、やらせてもらったのを感謝しております。
Q ムエタイをどんな人に勧めたい?逆に、ムエタイに向いていないと思う人は?
A 体を動かすことが好きな人や、少し自分に自信がない人なども良いと思います。ムエタイをすることが、自分の弱さや性格など、自分と向き合える良い機会になると思います。
Q 佑太先生に一言
A 僕が、スポーツを好きになったこと・体を動かすことが今でも大好きであるのは、幼稚園の時のゆうた先生の影響だと思っています。本当に楽しかったです!ムエタイはもちろん、毎週木曜日のサッカークラブも行くのが楽しみだったのを今でも覚えています。ありがとうございました!!またどこかで一緒に体を動かす日を楽しみにしています。
勝克君は、『あの子・あの人は今』第4回で登場した今川智生君と同級生で、同じくニューバンビーノ幼稚園卒園児。バンビーノが縄跳び幼稚園と呼ばれていた時期に、いつもトップを競っていたのが勝克君だったね。『歴代縄跳びランキング』にも3種目でそれぞれ1位と2位!!
〇 1回回し1回跳び 1630回 歴代2位(年長時、年中時には1232回)
〇 1回回し1回跳び 3150回 小学生歴代1位(小3時)
〇 ケンケン跳び 237回 歴代2位(年長時)
私もよく数えたなと・・・(苦笑)。3000回って、単純計算で20分以上一度もひっかからないで跳び続けているわけだからね・・・。極度の緊張感の中で、いかに集中力を保ちながら跳び続けられるかが求められる。ムエタイの練習時間が少なくなっちゃうけど、周りの友達もハラハラしながら記録更新を見届けていたよね。
そんな勝克君でも、スパーリングは怖かったんだなぁ・・・
そりゃ怖いさ・・・。プロの格闘家だって試合前は怖いんだから・・・
練習前、スパーリングが怖くて教室からなかなか出て来なかった日もあったよね。今にも泣きそうな顔をしていたのを、鮮明に覚えているよ。でもいざ試合が始まると、豹変したように向かって行ったよね。いわゆる「スイッチが入る」というやつ。とても小さい身体にも関わらず、同学年ではパワー・スピード・スタミナどれもズバ抜けた身体能力があったから、私は勝克君にタイ人の子相手のムエタイの試合(もちろん防具なし)に出て欲しくて、お母さんに直談判した事があったんだ。でも残念ながら、予定していた試合日がピアノの発表会と重なってしまい、別日の試合も組めずにそのまま本帰国・・・(涙)
八百長やってたとは知らなかったゾ!!(笑)
でもその当時の事を、今こうして笑って話してくれるっていう事が、とっても嬉しいんだ。
智生君も一緒に参加したムエタイ合宿でも、俊太とたくさん遊んでくれたね。
勝克君は本帰国してから1度、ご家族でのタイ旅行の際にアポなしで会いに来てくれたんだ。高校卒業した頃だったかな?
幼少の頃のスポーツの経験で、今でも身体を動かすことが好きになったとの事、本当に嬉しく思う。そして、13年経った今もこうしてまた繋がれた事に感謝だ。
エンジニアとして社会人生活をスタートした勝克君。コロナが収まったら、いつかまたムエタイしに来てね!